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東京地方裁判所 昭和41年(行ウ)8号 判決 1974年5月10日

原告 塚本房雄

被告 荏原税務署長

訴訟代理人 伴義聖 外三名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事  実 <省略>

理由

一  請求原因1および2の事実は当事者間に争いがない。そこで、本件更正処分における総所得金額(ただし、事業所得のみ)の認定が正当か否かについて判断する。

1  原告が東京都太田区北千束町五三九番地所在の建物において洋服仕立業を営なんでいたところ、東京都知事の施行にかかる都市計画事業環状第七号線街路築道工事のために右建物の敷地が買収されたことに伴い、右店舗を他に移転しなければならなくなり、東京都から昭和三八年中にその損失補償金として合計六、〇〇〇、五三七円の支払いを受けたことは当事者間に争いがない。

2  被告は、右損失補償金の中には事業所得の収入金額に代る性質を有する営業補償金一、五九六、〇〇〇円が含まれている旨主張するので、この点について検討する。

(一)  <証拠省略>ならびに弁論の全趣旨を総合すると、次の各事実が認められる。

(1)  東京都は、都の補償基準要綱(昭和三六年四月一日から施行され、昭和三八年一〇月一日「東京都の事業の施行に伴う損失補償基準」の施行により廃止された東京都の内部準則)に基づいて原告が前記事業のために従前の店舗の移転を余儀なくされることによつて受ける損失の補償額を算定したこと

(2)  都の補償基準要綱によると、営業補償として、建物の移転により営業を一時休止するときは、建物移転の工法に従い通常必要とする休業期間に応ずる推定収益額を補償するものとし(これを休業補償という。)、右営業休止の期間中事業主の負担となるその建物の公租公課、光熱、水道および電話の基本料金、従業員の法定福利費その他通常支出を必要とする固定経費があるときは、その額を補償しうるものとし(これを固定経費補償という。)、また、右営業を休止する場合において、事業主が就労させることができない従業員に対して賃金を支払う必要があるときは、建物の移転に伴つて通常必要とする休業期間に応ずる従業員の、労働基準法一二条の規定による平均賃金の範囲内で補償するものとし(これを休業手当補償という。)、さらに、建物の移転により規模の縮小、得意の喪失等により営業収益が減少するものと認められるときは、従前の営業期間、地理的条件等を考慮して、その直近二年度の平均年間純益額の範囲内で相当と認める額を補償しうるものとしている(これを得意喪失補償という。)こと

(3)  東京都は、原告が従前の店舗の移転を余儀なくされることによる損失補償金について、都の補償基準要綱に基づき、営業補償として、休業補償七〇九、〇〇〇円(平均月収一七七、二五〇円の四か月分)、固定経費補償三四、〇〇〇円(月間経費八、五〇〇円の四か月分)、休業手当補償一四四、〇〇〇円(月間休業手当三六、〇〇〇円の四か月分)、得意喪失補償七〇九、〇〇〇円(前記月収一七七、二五〇円の四か月分)、合計一、五九六、〇〇〇円、借地権補償として二、一四二、八五〇円、建物補償として八八一、七七八円、工作物等の移転補償(工作物補償)として三六九、四五〇円、動産移転補償として一八、九九三円、家賃補償として一八七、二〇〇円、移転雑費補償として一四四、九六二円、移転のための特別措置補償として六五九、三〇四円、以上合計六、〇〇〇、五三七円と算定し、右金額を損失補償金として前認定のとおり原告に支払つたこと

(4)  原告は、下向磐を代理人として東京都と損失補償額の交渉をしたが、下向は、前記事業の施行によつて他へ移転を余儀なくされることになつた環状第七号線街路用地部分やその沿線の住民等を心として昭和三六年ごろ組織された東京都道路対策連盟の書記として右連盟の多数の会員に代つて東京都としばしば補償金に関する交渉をし、さらには、損失補償金、ことに営業補償金に対する課税の問題について税務当局とも再三にわたつて交渉をしていたことから、都の補償基準要綱の内容および東京都が原則として右要綱に従つて損失補償金額を算定するものであることについて十分な認識を有し、また、課税との関係で損失補償金の内訳についても関心を持つていたこと

(5)  下向は、東京都の係員から原告に対する損失補償金の提案額を示され、右金額のうちの営業補償金額についても説明を受けたうえ、原告に対して東京都の提案を説明し、その了解を得て昭和三八年八月中旬原告の捺印した「借地権消滅承諾書」<証拠省略>と「物件移転承諾書」<証拠省略>を東京都に提出して、東京都との間において原告の借地権消滅および建物等の移転とそれに対する損失補償について合意を成立させたこと

(6)  もつとも、原告は、東京都との損失補償についての最終的な合意の際、右合意された損失補償金の内訳については、営業補償の額を除き、ほかにどのような項目の補償が含まれているかは、ある程度知つていたものの、その具体的な内容や金額までは知らなかつたが、それは原告が最終的な合意の段階では損失補償の総額について最大の関心を持ち、その内訳については関心が少く、東京都側の算定内容を概括的に了解したためであること以上の事実が認められ、<証拠省略>のうち右認定に反する部分は、いずれも前掲各証拠と対比してにわかに信用し難く、他に認定を妨げるに足りる証拠はない。

(二)  右認定事実によれば、原告が東京都から支払いを受けた前記損失補償金六、〇〇〇、五三七円のうち一、五九六、〇〇〇円は原告と東京都との間の合意に基づいて営業補償として支払われたものというべきである。そして、その内容をみるに、右営業補償を構成する休業補償および得意喪失補償の部分は、前認定のとおり店舗の移転による減少収益に対する補償として支払われたものであるから、右の部分が事業所得の収入金額に代る性質を有するものに当たることは明らかであり、また、固定経費補償および休業手当補償の部分も、当該事業を継続するために休養中も支出せざるを得ない経費についての補償として支払われたものであるから、当該事業に関して受ける収入金の額で、事業所得の収入金額に代る性質を有するものと解するのが相当である。

(三)  これに対し原告は、営業補償として支払われた金額はその額が過大であることからみて、原告の営業休止による減少収益等の補償ではありえず、その実質は、原告の借地権補償および建物補償等である旨主張し、<証拠省略>によれば、東京都は、原告との損失補償についての交渉を妥決させるために原告の営業収益を実際の収益額よりも多少過大に査定して、それに基づいて営業補償ごとに休業補償および得意喪失補償の各金額を算定したことが窺えないでもないが、営業補償はもともと営業休止による減少収益の予想額に基づいて算定されるものであるから、仮りに右予想額が客観的た減少収益額を上回つていたからといつて、直ちにその補償の実質が営業補償ではなく、原告主張のように借地権補償や建物補償等であるとはとうてい断定し難いというべきである。<証拠省略>のうち原告の右主張に副う部分は、いずれも前記営業補償が実際よりも多少過大に査定された営業収益額に基づいて算定されたことによる臆測に基づく供述ともいうべきものであつて、右説示したところと前記(一)で認定した事実に照らしてにわかに採用し難く、他に、原告の右主張事実を認めるに足りる証拠はない。したがつて、原告の右主張は採用できない。なお、原告は前記損失補償金六、〇〇〇、五三七円が原告の代替家屋の取得費用やその他移転費用等にもみたなかつたことからも前記営業補償が事業所得の収入金額に代る性質を有するものでないことは明らかである旨主張するが、前記損失補償金六、〇〇〇、五三七円がもともと原告の代替家屋の取得費用として支払われたものでないことは前記(一)で認定した事実から明らかであるうえ、本来、損失補償ことに対価補償の金額は収用(買収)資産の客観的交換価値によつて決定されるべきものであつて、被収用(買収)者が取得する代替資産の価格が損失補償の金額や性質になんら影響を及ぼすものでないことは論じるまでもないことであり、原告の右主張は失当というべきである。

原告は、また、前記営業補償のうちの得意喪失補償金は無形固形資産の一種である「得意」の消滅に対する補償として支払いを受けたものであるから譲渡所得を構成する旨主張する。しかし、原告が自己の営業について同一あるいは類似業種における標準的な収益を超えて超過収益を生み出すような無形の利益源、すなわち、その有する有形の資産とは独立に取引上の評価の対象とされうるような営業権ないしのれん権を有していたものでないことは弁論の全趣旨に照らして明らかであるのみならず、東京都が原告に対して無形固定資産の消滅に対する補償として得意喪失補償金を支払つたものでないことも前記(一)で認定した事実から明らかであるから、原告の右主張も採用できない。

3  以上によると、原告が支払いを受けた営業補償金一、五九六、〇〇〇円は事業所得の収入金額に代る性質を有するものというべきであるから、旧所得税法九条一項四号、同法施行規則七条の一一第一項により事業所得の収入金額に当たるものというべきである。

ところで、右営業補償金一、五九六、〇〇〇円のうち固定経費補償三四、〇〇〇円および休業手当補償一四四、〇〇〇円については、被補償者である原告がその補償の目的に従つてこれを現実に経費の支出に充てた場合には、その支出した金額は、事業所得の算出上収入金額から控除すべきことはいうまでもないが、右固定経費補償分および休業手当補償分を原告が現実にその補償の趣旨に則つて支出したかどうかは証拠上全く不明である。本来、右支出のなかつたことについては課税庁である被告に立証責任があるというべきであるが、事柄の性質上、被告において右支出のなかつたことの立証は極めて困難であるのに対し、原告においてはその立証が極めて容易であることに鑑みれば、本件のように右支出の有無が証拠上全く不明な場合は、右支出はなかつたものと推認するのが相当であり、したがつて、品川税務署長が、所得の算定にあたり、前記営業補償による収入金額からこれらを控除しなかつたことは相当である。

そうすると、原告が支払いを受けた営業補償金一、五九六、〇〇〇円は全額原告の昭和三八年分の事業所得になるというべきであり、一方、原告が昭和三八年分の所得税について事業所得を一一八、五一六円とする確定申告書を品川税務署長に提出していることは当事者間に争いがなく、右事実に弁論の全趣旨を総合すると、原告には昭和三八年中に実際の営業所得が一一八、五一六円あつたものというべきであるから、結局、原告の昭和三八年分の事業所得は被告主張のとおり合計一、七一四、五一六円あつたものというべきである。

してみれば、本件更正処分における総所得金額一、七一四、五一六円の認定は正当として是認すべきである。

二  叙上の次第で、本件更正処分は適法であり、したがつてまた、本件賦課処分も適法であるというべきであるから、これらが違法であると主張する原告の本訴請求は理由がない。

よつて、原告の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を適用のうえ、主文のとおり判決する。

(裁判官 高津環 上田豊三 横山匡輝)

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